真実と嘘と噂を織り交ぜた言葉の痛み

  • 2018.09.17 Monday
  • 10:33

 

 

半年ほど前のこと。

私は三女の発表会に二女を連れていった。チラホラと同じ小学校の子がいるようだった。

ホールで「二女ちゃん!」と声をかけてくれたのは、背の高い活発そうな女の子。その子は傍にいる母親に、「この子、ちょっと変だから支援学級にいるの」と教えた。
無邪気なひとこと。
母親が「あ……、」と気まずそうな顔をしたので、私はペコリと頭を下げてその場を離れた。


発表会の席は二階席の一番後ろ。本当はもう少し前の方で見たかったけれど、二女が愚図ったり体を揺らしても迷惑をかけない場所を選んだ。
演奏が始まるまでの間、女の子が放ったひと言に対し、どう応えるべきだったのか考えていた。

『そうなの〜。うちの子は支援学級に在籍しているです〜。いつも仲良くしてくれてありがとうございます!』と母親にお礼を言うべきだったか。

それとも子どもの言葉など気にせず『お子さん、背が高いですね〜! 何センチなの〜?』と世間話をするべきだったか。


そんなことをグルグル考えていると、「あ、二女だ」と、3人組の男の子が声をかけてきた。
二女に尋ねると、ひとりは同じ学年で、あとの2人は知らない子だという。

「だれ?」と二女の存在を問う友達に、男の子は「いじめられて、支援学級に行った子」と説明した。


確かに二女はいじめられていた。
けれど、そのせいで支援学級に行ったわけではない。


「まじ? いじめられたら支援学級に行くの?」
「だったら、〇〇も行かなきゃじゃん!」


男の子たちは笑った。
二女は何とも言えない、曖昧な表情で笑っていた。頬が少し赤かった。大きな目が揺らいでいた。


「いじめられたから、支援学級に行ったんじゃないよ」


そう言った私の言葉を聞いたのか、聞いていないのか。演奏が始まるブザーにせかされ、男の子たちは消えていった。
無邪気な、悪意のない子どもの言葉。

二女はいつも、真実と嘘と噂を織り交ぜた“言葉”と戦っているんだろう。

 


「いじめられたから、支援学級に行ったんじゃない」


肩をぎゅっと抱き、今度は二女にそう伝えた。
二女は「うん」とも「すん」とも言わないまま、始まった演奏に夢中になる。

 

ステージから流れてくるのは『もりのくまさん』だった。高学年にもなって、幼児向けの曲に夢中になってリズムをとる。口ずさむ。そんな二女の幼さを、この日ばかりは哀れに思った。

 

 

 

JUGEMテーマ:軽度発達障害児

発達相談を受ける?受けない? 悩む母親のココロ……

  • 2018.09.14 Friday
  • 13:52

 

 

妹の子(3歳)が発達相談を受けたそうだ。

私からすると姪は、上から見ても下から見ても真正面から見てもひっくり返してみても――つまり、どこからどうみても“健常児”そのものだけど、妹には妹なりに気になるところがあったよう。

 

結果は「問題なし」。

ただ、「睡眠障害の可能性あり」とのことで、近々大きな病院へ行くらしい。

 

でも、とりあえずはホッと一安心。「絶対大丈夫!」だとは思っていたけれど、よかった。本当によかった。

 

 

 

二女は小学3年生のときに診断を受け、通常学級から支援学級に移った。

それから早3年の年月が経つ。

 

その間、10人の大人(母親)から「なぜ二女ちゃんは支援学級へ?」と質問された。

 

そのたびに私は「文字の読み書きがヘタなんですよ。学習障がいなんです。あと少し多動があるかな〜」と説明をする。

 

本当は少しどころか完全なる『ADHD(注意欠如多動症/注意欠如多動性障害)』だし、『自閉スペクトラム症』の知的ボーダー域なんだけど、自分の名前も名乗らず「なぜ二女ちゃんは支援学級へ?」なんて尋ねてくる人に、誤解されがちな“発達障がい”の診断名を正直に言う必要なんてないと思うから、ニッコリ笑って「読字障がいなんです」と私は言う。

 

『学習障がい』だって、あながち間違いではないし。

 

と、偏見の少ない『学習障がい』の名前を出して、様子を探る。

 

 

すると10人中10人が「実はうちの子、発達に悩みがあって……」と打ち明けてくる。

 

 

その中には、以前から私も『きっとあの子は二女の仲間』と思っていた子の母親もいた。

『うちの子よりヤバそうだぞ……』と感じていた子の母親もいた。

 

逆に、「え? これは自慢ですか?」と言いたくなるような。「あなたは未来のカタダマチコさんですか? それとも中塚翠涛さんですか?」と尋ねたくなるような美文字で綴られたノートを持参し、「うちの子、書字障がいかもしれないと疑っていて」と相談してくる母親もいた。

国語のノートのマスに、字をキレイに収めることができないから、書字障がいだと疑っているようだった。

 

なるほど。

“心”という字の隅っこがマスからはみ出ている。ほんの少し……、1ミリにも満たないくらい……。

 

 

 

 

私は専門家じゃないから、相談してくれた母親たちに「それ、発達障がいだよ!」とも「発達に問題はないと思うよ!」とも言わない。

100%発達障がいだと思っていても。100%発達障がいではないと思っていても。絶対に“身勝手な素人の判断”で”不確かな診断”はしない。

 

 

ただ、全員に「心配なら、〇〇病院や〇〇センターにいけば検査をしてくれるから、予約してみたらどう?」と言うようにはしている。

 

 

――自分の命より大切な子どもに、障がいがあるのかもしれない。

 

 

そう毎日、毎日、悩み続けている母親が欲しいのって、「大丈夫」「どの子もみんなそうだよ」っていう一時的な慰めや共感の言葉じゃなくて、正しい情報だと思うから。

 

 

 

妹が「9月に発達相談を受けてくるよ」と報告してきたとき、母親は私に電話をしてきて「どうにかして止めて」と言った。

母親は「検査なんてしなくても、あの子(妹の子)は絶対に大丈夫」と思っていたから、発達障がい児を育てている私から「大丈夫」「問題ないよ」「検査は必要ないよ」って妹に言って欲しかったんだと思う。

 

けど、私は止めなかった。

 

素人である私がいくら「大丈夫!」と言ったところで、妹の気持ちは晴れなかっただろう。

けれどしかるべき施設で検査を受け、「大丈夫」とのお墨付きをもらった妹の心はいま、晴れ晴れとしているはず。今夜はぐっすりと眠れるだろう。

 

 

 

子どもの発達に関しては、どんな些細なことでも、親が疑問に思うのならトコトン調べてもらうべき。

今のところ、発達障がい児にとっての良薬は“早期療育”しかない。だからこそ我が子に違和感を覚えるなら、すぐに行動におこしたほうが良い。

 

もし検査でなにかしらの障害を指摘されたとしても、そこから前へ進めばいいだけの話。

検査を受けたからって、悪くなることなんて、なにひとつないんだから。

 

 

 

ランドセルを無くした日

  • 2018.09.11 Tuesday
  • 17:58

 

 

二女が小学校へ入学したとき、身長は100cmちょうどだった。

 

全長30cm以上もあるランドセルを小さな両肩に担ぎ、ふらつきながら毎日学校へ行く。

 

入学前。

ランドセルを背負ったままひっくり返り、まるで死にかけのゴキブリのように手足をバタバタさせ、「助けてぇぇ! 起き上がれないぃぃ!」と叫ぶ二女の姿を目撃した母としては、先行きが不安で仕方がなかったけれど、二女は小学生なのだから、ひとりでランドセルを背負って学校へ行くしかない。

 

 

そんなある日のこと。

 

――4月末頃の話だ。

その日はたしか、朝から雨が降っていた。

 

家の電話が鳴った。

 

「もしもし、二女さんの担任の〇〇です。お母さまですか?」

 

私は「はい」「お世話になっております」と挨拶をしながら、時計に目をやった。

――8時00分。

 

長女と二女が家を出て、約30分。

 

 

学校へは徒歩10〜15分で着くけれど……

 

 

『あ、これは事故ったかな』

 

 

心の中で、そう思った。受話器を握る手が少し汗ばんだ。

ゴクリと唾をのむ。

 

「あのですね。今朝、二女さんはランドセルを背負って学校へ来られましたか?」

 

「え、どういうことでしょう?」

 

「……どこを探しても、二女さんのランドセルがないんですよ」

 

 

受話器を手にしたまま、玄関を見る。

 

ない。

 

いつもランドセルを置いているクローゼットの中を見る。

 

ない。

 

リビングを見回す。

 

――ない。

 

 

「自宅にもないようです……」

 

 

そもそも、二女はランドセルを背負って学校へ行っている。

ただでさえ重いランドセルの上に、私は今朝も、ランドセルなんかよりもはるかに重い“母の不安”を乗せたのだから。

 

 

「ご迷惑をおかけします」

 

 

私がそう伝えると、担任は「いえいえ、こちらでもう少し探してみますね」といって、電話を切った。

若くて可愛らしい先生の、コロコロとした声がプツリと消える。

 

 

「……あの子、ランドセルを無くしたのか」

 

 

そのつぶやきは、あーんと大きな口を開けてパンを頬張る三女の中へ吸い込まれていった。

 

 

 

 

ランドセルは、靴箱の上にあったそうだ。

 

 

雨が降っていた。

床が濡れていた。

 

 

だから上靴を履くとき、ランドセルを床に置かず、靴箱の上に乗せたのではないか、と先生から説明があった。

 

私からすると、身長100cmの二女が120cmはあろうかという靴箱の上にランドセルを乗せることは不可能だと思ったし、なぜ上靴を履くときにランドセルを下ろしたのかも不明だし、ちょっと意味が分からない。

 

でもきっと、先生も意味がわからないだろうから、「お手数おかけいたしました」と頭を下げて一件落着。

 

 

「めっちゃ恥ずかしかったんだよ! 私のクラスに二女の先生がきて、『ランドセル知らない?』って言うんだから! 友達の前で! 『知らない』って言ったら、『先生と一緒に探して』って言うんだよ? みんなはもう計画帳書いてたのに、そのせいで私は計画帳が書けなくて昼休みにやったんだからね! 昼休みに計画帳を書いていたから、ブランコの順番とれなかったし! っていうか、なんでランドセル? なんでランドセルをなくすの? 意味わかんないっっっ!!」

 

 

長女の中では中学1年生になった今でも“一件落着”とはいかないようで、たまーに「ねぇ、なんであのとき、ランドセル無くしたの?」って、小学6年生になった二女に尋ねている。

 

 

二女は「忘れた」を貫いている。

 

 

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